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第17回 にこもぐへの参加 後編

2025.11.03

今回のかめっちの農家探訪では、「にこもぐ」という、愛知県半田市の農家による直売イベントについてのレポートを全二回に分けてお届けします。今回はその後編で、Nさんとの対話についてです。

Nさんとのお話-導入

半田市へ向かう車中で、Nさんと「公共的な組織が理念を持つべきか」や、「人が持つ保守性」と「政治的な保守・革新(右・左)」の関係について議論した。Nさんは、「愛国心がある時点で、その人には“国を良くしたい”という保守的な気質がある。ただし、その目的を実現するために現在の延長線上の手段を選ぶか(保守・右)、全く新しい手段を選ぶか(革新・左)という違いで理解すると分かりやすい」と話しており、これまで聞いた中で最も腑に落ちる説明だった。

「理念」についても、Nさんは次のように述べていた。
「政治家や企業は理念を持つべきだと思う。信念と置き換えてもよいが、信念がなければビジョンは生まれず、人を巻き込むための絵を描けない。ただし、特に公共性の高い行政がビジョンだけでなく理念までも共有してしまうと、感情的・主観的な要素が強まり、冷静な判断を失って独裁的な組織に変わる恐れがある。」

この説明を聞き、「信念」や「理念」に基づいて「ビジョン」が生まれ、その良し悪しが問われるという構造こそが、理性的な社会秩序を支える基盤であり、政治家に求められる政治リテラシーなのだと感じた。同時に、この「感情」と「理性」のバランスを取りながら、純粋に国民生活の安寧のために尽くせる人物は、そう多くないのだろうと思った。

-SNS戦略の天才

話の流れはよく覚えていないが、「SNS戦略の天才」の話題になった。
Nさんはサブカル系のカリスマであるSKさんと非常に親しく、サブカルチャーやメディア関連など、さまざまな事業で協業してきたという。SKさんは幼少期からプログラミングを「第一言語」として扱うほどのデジタルネイティブで、高校時代も図書館にこもっては先生から特別扱いを受けていたほどの異才だったそうだ。実際、「女王の夜会」という高単価イベントを開催し、わずか3日で100万円を超える収益を上げたという。その圧倒的な企画力とプロデュース能力には驚かされた。

夫である映像プロデューサーとの間にも大きな相乗効果があり、そこから得られたさまざまなノウハウをSNSに凝縮して発信しているという。さらに二人は「6次産業プランナー」としても活動しており、まさに〈農業×エンタメ〉の実践者だ。

Nさんいわく、「SKさんはプランナーとして現場に出ることは一度もないが、SNSで悩む農家に対し、まず『どのSNSを一番使いやすいと感じているか』を確認し、それに一本化したうえで負担なく情報を発信できるようにすることを重視している」という。非常にシンプルながら、誰でも実践できる本質的な視点だと感じた。さらに、「Xのフォロワーは必要以上に増やさない方がいい。2万人を超えたら入場制限を設け、その2万人のフォロワーが自分たちの意図を深く理解できるように育てていけば、そこに扱いやすく健全な“2万人市場”が生まれる」と説明してくれた。

これを聞いて、「では2万人のフォロワーを得るために、農業側がまず何をすべきか」という方向に初めて思考が動いた。僕が目指すのは、「消費地の人々が旬の時期に生産地を訪れ、食を通じて四季を感じ、前向きな気持ちで新しい出会いを楽しめる社会」である。だからこそ、まずは小さく実践し、その成果を一本化したSNSで発信していく取り組みを始めてみようと思った。

-X(旧Twitter)をどう使いこなすか

話題は「Xをどう使いこなすか」という方向に発展した。
Nさんは、「Xは一見双方向的に見えるが、例えばトランプはツイートを投稿した後、返信を一切しない。そのツイートへの反応の中で、支持・反発・共感といった感情が自然に生まれる。つまり、議題を投げかけた後は静観し、フォロワーの反応を観察して属性をつかむのが最も省エネな活用法だ。」と語った。

確かに、Nさんの方法を応用すれば、自分が想定するニーズを探る際に、わずか1ツイートという低コストで“市場のヒアリング”を行える可能性がある。
その発想に感心すると同時に、ツイートの反応を分析する質を高めるためにも、フォロワーをむやみに増やさず、一定の秩序を持ったコミュニティとして管理することの重要性を改めて実感した。

-ルールとはなんのためにあるのか

そこから話題は「ルールとは何のためにあるのか」に移った。

Nさんは「ルールは、ゲームを面白くするために存在する」と言う。
たとえばコスプレイベントでは「1.2m以上の棒は禁止」という決まりがあるが、3mの武器を操るキャラクターに扮したい人にとっては不自由だ。しかし本質的に問題なのは“長さ”ではなく、“それを振り回すことで他人を傷つけるリスク”だとすれば、禁止ではなくモラル教育によって事故を防ぐ方が建設的である。「共有できない人だけを排除する」という運営のあり方こそ、最も平和で創造的なコミュニティをつくるのだと感じた。

サッカーでも同様だ。ルールは非常に少ないが、「ファウル」という枠の中で、審判はその悪質さと試合展開を天秤にかけ、エンタメ性と秩序の両立を図っている。要するに、ルールとは創造性と自由度を拡張するためのものなのだ。

そして、そこに楽しく参加するために、参加者それぞれがモラルとリテラシーを高める必要がある。
「明文化された最低限のルール」と「暗黙の了解としてのモラル」という二重構造を共有した市場こそが、幸福なマーケティング=健全な市場形成の基盤になるのだと感じた。

-にこもぐについて

午後は、生成AIを使った思考やアイデアのダイアグラム化の方法を共有したあと、「にこもぐ」のコミュニティについて話を聞いた。
Nさんは、「にこもぐはネットワークではなく、あくまでプラットフォームである」と語った。ネットワークはどうしても閉鎖的になりがちだが、プラットフォームは常にオープンで、誰もが参加できる空気を持つという説明だった。

私は「ネットワークも人づてに広がるのでは?」と尋ねたが、Nさんはこう答えた。
「ネットワークには俗人的な性質があり、それが結果的に閉鎖性を生む。だからこそ“プラットフォームという箱”を用意し、その存在を広く知らせる方が、同じ関心を持つ人が自然に集まる通気性の良いコミュニティになる。」

確かに、ネットワークにはどこかフリーメーソンのような閉鎖感が漂い、メンバーが選別される時点で双方向性が失われてしまう。一方でプラットフォームは、あくまで“場(インフラ)”を提供することで、自ら主体的に参加したい人を自然に引き寄せる。来る者拒まず、去る者追わず、そんな潔さがあると思った。

Nさんが参加する5年ほど前まで、にこもぐメンバーはお互いの存在をほとんど把握しておらず、孤独を感じながら営農していたらしい。そこで半田市に着任して最初に行ったのは、小規模農家が何を求めているかをヒアリングすることだった。その結果、「つながり」「情報」「販売場所」が重要であることがわかったため、1回目のキックオフイベントとして「半田市の農業者が市長を迎えて話す会」を実施した。

この方法なら3つの要素の多くを一度に満たせる上、市長にお金を支払う必要はないので費用もかからない。「市の農業振興事業でありながら、農家が主役というコンセプトにすることで、農家の自立心を促しつつ、行政には伴走支援や場づくりの重要性を理解させる狙いがあった」そうだ。この構造により、農家が主体的に行動する結果として、行政側も目線を合わせて対話できる。この「目線を合わせた対話」は、双方が本気で関わるために重要であり、行政のその後の行動にも影響する。最初にこの構図を作れたことが、現在のにこもぐにつながっているのだろう。

-マーケティングについて

次に、K先生がおっしゃる「マーケティングは行動変容だ」という話について伺った。
Nさんは「マーケティングとは新しい市場の形成である。近年、既存のニーズに適切な売り方や宣伝を行うことをマーケティングとする言説が広まっているが、ニーズが言語化された時点で市場はすでに形成されており、その中での競争になってしまう。重要なのは、まだ認知されていない潜在的なニーズをかぎ分け、新しい市場をつくることだ」と語っていた。そしてそれこそが「行動変容である」と言っていたが、ここはまだ自分の中で明確に理解しきれていない。新しいニーズを発掘し、そのニーズをもとに取引が生まれ、結果としてこれまで認知していなかった人々の行動がそのニーズを求める方向に変わっていく——そういう意味なのだろうか。

また、マーケティング研究者は「現場を知らない」と軽視されることがあるが、さまざまな事例から抽象化した概念を理解し、言語空間の中で保持していること自体、非常に高度な知的営みだと感じる。こうしたニーズを見極める際には、人間の行動心理や認知科学、思考の癖といった脳の構造を踏まえたデザインの知識、さらに関心の近い領域で市場を形成している人々との対話や協働が大きな意味を持つのだろうと感じた。自分自身も、引き続き農業の1日バイトに来ている人やアウトドア好きの人たちと積極的にコミュニケーションをとっていきたい。

さらにNさんは、差別化ばかりを強調する現代のマーケティングにも警鐘を鳴らしていた。「差別化とは“違い”に注目する行為だが、本来はサービスやプロダクトの本質的な機能を理解したうえで行うべきだ。近年はその基盤をおろそかにし、表面的な違いばかりを追っていることが多い」と。
「差別化された商品同士の“共通点”をあらためて確認し、消費者がどの機能に注目しているかを理解すること。そのうえで差別化の意味を見極めるという基礎的訓練こそ、新たな市場形成には欠かせない」と語っていた。

これを農業(ここでは耕種)に置き換えると、「栽培場所(平野・中山間・地方・都市近郊)」「栽培方法(品種・農法)」「販売方法(直売・市場卸)」「経営体(家族経営・法人・集落営農)」「他産業連携(アウトドア・健康・加工食品・エンタメ・観光・教育・福祉)」などの要素から成り立っている。しかし、すべてに共通するのは「太陽エネルギーを植物に変換してもらい、そのエネルギーを取引する」という点だ。このエネルギーへの値付けは、厳密にいえば消費者一人ひとりで異なる。このエネルギーをどのような形で届ければ、消費者がより高い対価を支払うのか。その根源的な問いに立ち返り、あらためて整理する重要性を感じた。

-言葉・宗教について

帰り際に、Nさんが「自分は難しい言葉は、もっと簡単にすればいいと思うのだが、みんなが手軽に使っているキャッチフレーズや、深く考えられる前になんとなく認知されている“準常識”的な言葉ほど、徹底的に議論し定義すべきだと思っている」と話していた。その流れで、知り合いが○○真理教にはまってしまい、その洗脳を解いたという話を聞かせてくれた。

「その子はとても優秀だったが、自己肯定感が非常に低く、『自分は本当にこれでいいのか』と問い続けた結果、さまざまな宗教に救いを求めた。そして『どの宗教も正しくない部分があって飲み込めない中で、○○真理教だけは不確かな私に確かさを与えてくれた』と話していた。僕は哲学を学んでいたので、『不確かな人間が確かさを認知することはできないのでは?』と問いかけたところ、初めて自己矛盾に気づいた。そのとき思ったのは、○○真理教はその子にとって非常に有効なセールスをしていたということ。彼女が一番求めていたものを与えたことで、どれだけ収奪しても忠誠を誓うようになった。これこそマーケティングだ」と語っていた。

難しい話ではあるが、あらゆる場面で責任を求められる現代社会において、人がそれらから逃げたくなったとき、神のようなメタ的存在に救済を求めてしまうのは理解できる気がした。同時に、宗教というものは、人間の心の“隙”を見極める力さえあれば、最もローコスト・ローリスクで金を稼げる手段にもなり得ると感じた。今後、生成AIを活用した高精度な詐欺宗教が現れるかもしれないと思うと、恐ろしさを覚える。

いずれにせよ、市場を考えるときには、まず目の前の人間に深く向き合い、その人とのコミュニケーションの中で、その人固有のニーズを見極めていく練習をすることが、農業振興や農産物普及のヒントになるのではないかと感じた。

また、イベントを始めるときに「1回目と2回目はセットで考え、3回目以降は別の枠組みで考える」という考え方も非常に新鮮だった。Nさん曰く、「1回目はとにかく人を集めることが大事。そうすれば2回目にはある程度人が来るので、そこで写真をたくさん撮っておく。3回目以降は別の展開を考えればいい」とのことだった(ここは少し記憶があいまい)。この点については自分に経験がなく何とも言えないが、行政的な立場から見ても、初回で人が集まらなければ予算は下りないので、1回目で必ず集客し、そのフィードバックをもとに2回目を形づくるというのは、確かに理にかなっていると思った。

最後に、情報が金になる時代について少し話をしてくれた。「戦後の開高健などの作家たちは、戦争を忘れるために“言葉のイメージで金を生む”方向に進んだが、その傾向が戦後も続いた結果、技術が抜け落ちてしまったことが根深い問題である。技術とはつまり身体性のこと。だから自分は、身体性に根ざした言葉を操れる農家を応援したい」と語って締めくくられた。

楽しかったです!ありがとうございました!

かめっち先生の旅はまだまだ続く(毎週月曜日更新)

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