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第13回 佐久島の感想

2025.10.06

今回は、愛知県の三河湾に浮かぶ離島、佐久島を訪れたかめっち先生のレポートをお届けします。

Nさん(家具職人)夫妻

まず印象的だったのは、とても古い家(築70年以上? 家賃は月5,000円ほど)をご自身で改修して暮らしているという話だ。その住まいは驚くほどおしゃれで、関西で家具職人として働いてきた経験が自然に生かされているのを感じた。他人事ながら「やはりこれまでの経験はこうして形になるのだな」と嬉しく思った。

Nさんは、いつか自給自足の暮らしをしたいと願い、偶然出会った女性(現在の奥様)とともに佐久島に移り住んでから、すでに30年以上が経つという。そのお話を聞きながら、同行した奥様の決断力とパワフルさにも感心した。実際、Nさん自身も奥様のタフさに大いに助けられたそうだ。家族との関係を軸にしつつ地域とのつながりを築くことが、移住におけるひとつの理想的な形なのかもしれないと感じた。

奥様は「自分も当時、仕事に疲れていたので、ちょうどいいと思い、あまり深く考えず離島への引っ越しを決めた」と話していた。その言葉からも、離島での暮らしには“上からの指示に従う力”よりも、“自分の意思でその場その場の出来事に柔軟に対応する力”が求められるのだと分かった。

そして心に残ったのは、Nさんの何気ない一言――「物がなければ作ったらええんですよ」というものだ。これは単に物質的な「物」にとどまらず、人とのコミュニケーションさえも作り上げていくという意味を含んでいるように思えた。自ら“つくる”ことを楽しめる人にとって、離島という空間はまさにオアシスのように自由な場なのだろう。

国際結婚カップルの話

島で喫茶店を営む移住者夫妻の話を伺った。男性は海外出身、女性は日本人というご夫婦だ。二人は、まるで日常会話の延長のような語り口で、ゴミ出しや近所の方々とのやりとりなど、移住後の暮らしを語ってくれた。そのごく自然な語りに触れ、「移住」という行為を自分が勝手に特別視していたのだと気づかされた。

特に印象的だったのは、ゴミ出しの話だ。ご主人が「高齢の方は重たいものを運べないから、力のある自分が代わりに運んでいるよ」とさらりと言ったのを聞いたとき、ハッとした。都会では当たり前に機能していない考え方であり、それこそが都市生活の息苦しさの一因なのかもしれない。都会ではすべての行為に説明責任が過度に求められ、それを相手にも無意識に求めてしまう。そうした窮屈さに自分自身が疲れていたのだと改めて気づかされた。だからこそ、当たり前のコミュニケーションが成立する離島の暮らしに、強い感動を覚えたのだろう。

また、ご夫妻の営む喫茶店の空間には、創造を楽しむアイデアが溢れていた。島で出た間伐材を使ったアート作品や、自作の木製レコードプレーヤーは、店の雰囲気に見事に調和している。夫婦が築き上げる「自由」な空間に憧れを抱くとともに、心が温かくなった。

懇親会にて

夜の懇親会では、同世代(30代半ば)の地域おこし協力隊の方とその奥様の話を聞く機会があった。男性は西尾市出身で、協力隊になる前は全国各地の一次産業の現場で働いていた。30代を迎える頃、腰を据えて暮らしたいと考え、地元の協力隊制度を活用して佐久島に入ったそうだ。一方、奥様は栄のブティックでファッション関係の仕事をしており、移住や離島暮らしを全く考えたことがなかったという。

お二人の話から強く感じたのは、移住や田舎暮らしの本質が「コミュニティの範囲内で、自らの裁量で物事を決め、手を動かして実行する自由」にあるということだ。僕が「地域のしがらみは煩わしくないですか?」と尋ねると、ご主人は「ご近所さんから多くのものをいただくので、それに返している感覚はあるけど、めんどくさいと思ったことはない」と答えた。

かつて移住対策に関わった経験から思い出すのは、トラブルが多い地域では「地域のルール」と「その理由」が共有されていないことが多かったという点だ。その点、佐久島はルール形成が柔軟で、その運用のしなやかさが移住者の自由な感性を損なうことなく、コミュニティへと受け入れる基盤になっているのではないかと感じた。

奥様からは「最も苦労しているのは夏のムカデや蚊、スズメバチ。だからこそ長靴やゴム手袋といったアナログな道具のありがたみを痛感する」という声があった。農業に携わる立場として、この実感には大いに共感した。スマート農業の技術が注目されて久しいが、実際に参入障壁となっているのはこうしたシンプルな課題だ。だからこそ、デジタルだけでなく“身近な知恵と身体性”で解決できる部分も大切なのだと考えさせられた。

二人と話していて感じたのは、建前と本音の乖離が少ないことだ。もちろん立場に応じた発言もできるのだが、自分の生き方にちょうどよい自信を持ち、それを素直に表現している。その姿勢に心地よさを覚え、「人と協力しながらも基本は自力で楽しい生活をつくり出す」というスタンスに強く共感した。

アート

街を歩くと、車が通れないほどの細い路地、改修された古い家、防風林の間からのぞく海の景色が重なり、初めて訪れたのにどこか懐かしい感情に包まれた。観光客向けの小さな商店も、景観を壊さず町に溶け込んでおり、とても目に優しい。参加者も歩いては足を止め、写真を撮ることを繰り返していた。やはり「歩くのが楽しい街」になっているのだと感じた。

最終日には、アートを活用したまちづくりの仕掛け人である岡崎のアーティストに話を聞いた。自分も行政職員としてアートによるまちづくりに関わった経験があるが、そのときは全く意味を見出せなかった。というのも、よく分からないアートを町に掲示し、市民に押し付けるような取り組みだったからだ。むしろ嫌悪感を生んでいたように思う。

そこで率直に「島民にアートを理解させることに、どんな効果があるのでしょうか?」と尋ねてみた。アーティストの答えは、
「島民はアートのことなど分かっていないと思う。それより大切なのは、アートを創作する過程において、島民や観光客が関わり、交流すること。そのコミュニケーションこそがまちづくりの要だ。『自分たちが作ったアートだ』という主体性を島民と共有できて、初めて誇りに昇華できる」というものだった。

この言葉に雷に打たれたような衝撃を受けた。そして、このアーティストを10年以上にわたり招き続けた西尾市の政策にも拍手を送りたいと思った。

結び

今回の佐久島での体験は、最高に楽しく、そして多くの学びを得られる時間だった。本当にありがとうございました。

かめっち先生の旅はまだまだ続く(毎週月曜日更新)

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