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第25回 5か月ぶりにこんにちは。

2025.09.23

 長い間、投稿をお休みしていました。読者の皆さま、ほんとうにごめんなさい。

 理由は全くの私ごとですので、くどくどと説明することはいたしません。そもそも、私の連載が途絶えたとしても世の中に与える影響なんてないし、そのまましれっとフェードアウトしてもよかったのかもしれないが、約5か月も勝手に休んでた状態から突如復帰したんだから、それなりの挨拶というもんは必要ですね。

 実は、家族のひとりが倒れ、回復することなく死去いたしました。家族とは実母です。親と死に別れることなんか誰もが経験する道筋なので全くしかたのないこと。ただ、高齢者にありがちな認知症が急激に進み、その変化に対応できなかった私がお手上げ状態になっていたのです。情けないんだけど、つぶれてました。毎日、人格が変わったような母の相手をしながら、鬱々と人形のように時を過ごしていました。自分でも驚いたことに、楽しいことなんかカケラも考えられなかったのです。

 楽しいことが考えられない、というのは、私にとっては極めて異常な事態でして、いくら忙しくてもわずかな隙間に必ず高純度の楽しみをねじ込んで、その結果生活全体をなんとか楽しくしていましたね。それができなかったんです。この5か月というものは。

 いったいいつになったら回復するものかと思っていたら、やっとそのきざしが見えてきた。それを感じたきっかけとは。

あんぱん。

明治のはじめに木村なんとかという人が発明した日本独特の菓子パン、ではありません。

朝ドラ「あんぱん」です。

はい。漫画家「やなせたかし」とその妻をモデルとしたドラマです。

私が子どもの頃には、テレビでときどき見るメガネの漫画家でした。あの頃の私にとってのマンガ界は、鉄腕アトムの手塚治虫が別格で、以下鉄人28号の横山光輝、ハリスの旋風のちばてつや、おそ松くんの赤塚不二夫といった高度成長百花繚乱の時代。その中では「やなせたかし」さんはアンパンマン誕生以前の、マルチクリエーターとしての才能を開花させていた時代で、むしろ子どもたちの前には少し地味な「マンガ学校の先生」以外の顔を見せることはなかったのでしょう。朝ドラをみながら、あの時代のことをぼんやり思い出したりしていました。

ちょうどその時代の挿入歌が、やなせたかし作詞の「手のひらを太陽に」でした。「ぼくらはみんなー、いーきているー」っていうやつですね。

この歌をめぐって、ずっと前に私はすごく楽しい話を思いついていたんです。

久しぶりに思い出したぞ。生徒たちの前でもこの話は大爆笑のバカ受けネタだったんだ。

それは、こんなお話でした。

当時、私の家にはふたりの年寄りがいた。妻の両親が生活していたのが玄関を入ってすぐの部屋。その隣がリビングと台所。たいてい私が最後に帰宅していたので、玄関ドアをあけたとたんに私以外の家族の声や生活の物音がにぎやかに聞こえていたものだ。

ある夜のこと。帰宅してドアを開けて玄関に入ったとき、家の中はこのような状態だったようである。

ふたりの年寄は「時代劇チャンネル」を一日中つけて熱心にみている。ちょうど時代劇の華、捕物ドラマの主人公が悪党どもをばったばったとやっつける場面だ。

そして隣のリビングでは、小学校で音楽を教えている妻が、教材のCDをかけて授業の準備をしていた。小学校の合唱曲、ちょうど流れ始めたのが「手のひらを太陽に」だ。

2種類の、まるきり違う音が、それぞれかなりの音量で流れて、完全に混ざった状態。

そうして、玄関に立っている私のところまでに聞こえてきたのです。

そう、こんな具合に。

時代劇「てめえら、もう生かしちゃおかねえ!」

合唱「ぼくらはみんなー、生きている~」

時代劇「たばになって、かかってきやがれー!」

合唱「ミミズだって、オケラだって、アメンボだって~」

時代劇「キーン! ズバーッ! うがーッ!」

合唱「まーっかに流れるー、ぼくの血潮~」

時代劇「覚悟しやがれ~! ウオー!」

合唱「生きーているから、うれしいんだ~」

時代劇「ドピュン! どばーッ! うおおお~っ!」

合唱「まーっかに流れるー、ぼくのちーしーおー」

時代劇「神妙にお縄を頂戴せい1」

合唱「みんなみんなー、生きているんだ友だちなんだ~」

なんなんだ、この世界は…。

やなせたかしと池波正太郎がコラボすれば出来上がるのか?

そんなこと絶対ない絶対ない。

朝ドラ「あんぱん」放映のおかげでしょうか。

やっとこんな、面白いことを考えてはにやにやしていた自分を取り戻し始めたようです。

読者の皆さま、これからもよろしくね。

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