第24回 レーズンと私 (承前)
2025.04.16

私は中学生と遊ぶことを主目的として教員になった不逞の輩ですが、なぜか教育委員会というところに転勤となること三度。だから学校現場に帰れた喜びも三度味わいました。現場に帰ったときの気持ちは言葉では言い表せないほどなんですが、ことさらな感慨となるものが、これ。
学校給食

子どもじみた考えかもしれないけれど、職業人だった期間の3分の1を教員じゃなく市役所勤務の公務員として過ごしていた私にとっては、中学生たちと遊べる現場に帰れた喜びの象徴が学校給食だったのですね。
給食をたべたことのない方は少ないと思うけれど、現在の給食を知っているのは学校職員だけでしょう。
給食のメニューにはカレーとかうどんとかラーメンとか、国民食レベルで親しまれているものがあります。ところが、給食に登場するカレーとかうどんとかラーメンは、家庭で作られるそれらとは別もの。さらに言えば、外食産業で供されるそれらとも、全くの別物です。どこが違うの?と聞かれたら説明に困るなあ。共通してるのは具の種類が多いことかな。大量調理によるスケールメリットでしょうか。
例えば、うどんやラーメンの麺はゆでめんや蒸しめんだから、麺類としてのクオリティはお店でたべる麺類と比べれば圧倒的に低いはず。

ところがどっこい。具だくさんのスープに自分で投入した腰のないふにゃ麺が、なぜにこんなにおいしくたべられるんでしょう。これは「学校給食」というメソッドが生み出す一種の魔法だと私は思うんですね。さらに言えば、この魔法は昔の給食と比べるとはるかに高度。またたべたいなあ、と時々思うんだけど、無理。これはもう遠い思い出の世界のたべものです。
さて、これは最後の勤務先となった学校でのできごとだ。毎日「給食が待ち遠しいなあ。おいしいなあ。明日も楽しみだなあ」と子どもみたいにうれしがってる自分がかわいい。

しあわせだなあ。
と、喜んでいたある日。献立表を見ると。
おう。ドライカレーだ。

ひき肉とたっぷり野菜のぶきぶきした食感。カレーライスとは別物のおいしさ。私はこいつが大好きなんだな。
と、喜んでいたのが平成29年6月7日。
とんでもないことに気づいてしまった。
給食のドライカレーには、レーズンが入っているのだ。
あろうことか。献立表にも「干しぶどう」と明記してあるではありませんか。

う~ん。
レーズン。
苦手だ。
この日から2年前に、前回ご紹介したエピソードがあったわけです。

(簡単におさらいすれば、Facebookに「人類の半数は、レーズンがきらいだ」という、確信に満ちた書き出しで始まる長文を投稿したところ、「親レーズン派」からの猛反対意見をくらいまして、わが反レーズン派のとった行動は退却あるのみ。「人類の3分の1は、レーズンがきらいだ」に下方修正し、やむなく私の反レーズン運動は地下にもぐったのでした。ちなみに地下組織名は「レーズンが好きじゃないぐらい言ってもよかろーが解放戦線」略してRSK。あ岡山ローカル局じゃないよ。)

あれから2年。
ほぼ忘れていたこのことを、思い出させてくれたもの。
それが給食のドライカレーなのです。
どうしてレーズンが入るの。わたしのドライカレーをどうするつもりだ。
レーズンはつまり、学園ドラマに出てくる、クラスを混乱させる転校生みたいなものじゃないのか。
授業中に指名されて非の打ち所のない解答を淡々と述べる。学級会では東京弁で正論を展開する。前髪をかき上げながら図書館で太宰治を読み、音楽室のピアノでショパンを弾く。

ああーたまらん。これがレーズンのやり方なのだ。
さて、時刻は12時10分。ドライカレーが校長室に届きましたよ。言っておきますが、これは校長特権の早弁じゃなくて「検食」というれっきとした校長の仕事なんですからね念のため。

ああ、いい香りだ…
刻みこんだいろんな野菜とたっぷりひき肉。
カレーソースによってすべてが渾然一体となり、これをばホカホカのご飯とともに口中に運びます。
果たしてどのような首尾でありましょうか。
おいしい。すごくおいしい。

黒くてしわしわのレーズンの粒は見当たらない。よくよく見ると、レーズンも細かくこまかく刻んであるじゃありませんか!
ドライフルーツ独特の酸味と風味、おだやかな甘みがカレーソースの風味をより複雑にしてますよ。細かにきざんだレーズン、これこそ「かくし味」というやつですな。
一瞬で、私の脳裏にはこんな学園ドラマが繰り広げられたのです。

私立給食学園のある日。
学級委員長のカレーさんが転校生のレーズンくんに「ねえねえレーちゃん! 球技大会のメンバー決めてるんだけどこっちに来ない?」と声をかけたわけだ。「この学校にオレの居場所はないね」と寡黙なニヒリストを演じていたレーちゃん、実は転校する前の学校では野球部でレギュラーだったがあいにく給食学園には野球部がない。ニヒルなキャラの裏には純粋な野球少年の顔が隠されていたのだ。誘われたのは学級対抗ソフトボール大会。カレーさんの熱心な誘いに根負けして出場した転校生レーちゃんの青春! ついにソフトボール大会の日がやってきた。 さあさあ、どうなったと思う?

これは、まさにドラマですよねえ。
さらに、後日のことです。
ドライカレーにレーズンを入れることについての、専門家のコメントも聴きました。
学校栄養士のT先生の、このお言葉だ。
「レーズンは鉄分をとるのに最適な食品のひとつです。少量でたっぷり鉄分がとれるので、どこかで使いたいんです。ドライカレーに入れるときはフードプロセッサにかけて細かく刻みます。苦手な子もいるので。」
ああ、なんて博愛的かつ丁寧なご対応なんでしょう。
ドライカレーに入っているレーズンを転校生扱いしていた私は、深く恥じ入りました。
ドライカレーにレーズンが入ってることについて、私はたしかに納得いたしました。
レーズンよ。お前というやつは…。
さらにさらに、その数か月あとのこと。
こんなものをいただきました。

ピオーネのレーズン。
あの高級ブドウ、ピオーネをゼイタクにも干しブドウにしちゃいました、というもの。こんなことができるのは産地の人だけだ。ブドウ農家をやってる友だちからいただきました。目からウロコがボロボロ落ちましたよ。

ジューシーで芳醇。濃厚だが素直。とてもおいしい。
作り方、難しいんだろうな。ただ干してちゃカビるだろうし。
こりゃワインに合うな。
ドライカレーのかくし味担当として、いい仕事を平然とやってのけたレーズン。
花形フルーツを、貴重なドライフルーツとしてさらに昇華させたレーズン。
ここまでの経験によって、私の「レーズンに対する見解」というものは、このように修正されたのでした。
「人類の3割は、レーズンがきらいだ。」
ポテトサラダにレーズンを入れる人がいるかぎり、このレジスタンス運動は終わらないのであります。
この稿、これにておしまい。
