第23回 苦手なものを好きになったことがある
2025.03.17

連載を始めてもうすぐ2年になります。毎回毎回、私の気ままなつぶやきにおつきあいいただき、たいへんありがとう。
基本的に、好きなことを書いてきました。というか、「好きなもの」について書いてきた、もっと有体にいえば「好きなたべもの」についていちばん熱心に書いてきたような気がしますね。
誰だって好きなたべものはある。逆に苦手なものだってあるかもしれない。さらに分析すると「以前は苦手だったけど、今は好き」という変化の歴史があったりしますね。
今回のお題は、その「変化の歴史」について。
私の場合、思い当たるたべものが、ふたつあるのです。
まず、ひとつめ。

はい。「海鮮丼」でございます。
和食のなかでもとても華やかな、宝石箱やぁ~!と称賛される丼もの。画像は岡山市の中央卸売市場の中にあるお店で撮影したものですが、実に美しいものですねえ。こんなごちそうを「苦手」と思うのはもともとお魚がだめな人、ということなら落ち着くものなんでしょうが、私はお魚は煮ても焼いても、もちろんナマでも大好き。なのになぜに「海鮮丼」を、苦手と思っていたのでしょう。不思議ですねえ。それはですねえ。
たべかたが、よくわからなかったから。

いやいや、ふつうにたべたらいいでしょう。とおっしゃるでしょうが、私はわからんかった。上置きの海鮮が豪華になればなるほど、たべかたがわからなくなったのであります。
これは、どこからたべ始めればよいのだ。
小皿に注がれたお醤油はどう使えばよいのだ。
ふつうの刺身定食であれば何も問題なくいただけますよ。お魚とワサビと刺身醤油の連合軍が、ホカホカの白ご飯と合体すればこれはもはや無敵艦隊。ふはふはうまうまで大勝利ですよ。
しかし、海鮮丼となるとどうでしょう。白ご飯は海鮮の下に敷かれていて見えないから、どんぶりの全体像というものがよくわからない。海鮮の地層はどんなようすなのか。白ご飯の量はどれだけあるのか。あー、わからん。しかたなく小皿の醤油にわさびを溶いて上からととーっと掛けまわして端の方から掘削するとやがて白ご飯の層に達するのでありますが、ここから私の海鮮丼を苦手と感じる歴史が始まったのです。
それは主に3つの失敗経験から出来上がりました。つまり。
失敗その1
上置きの海鮮が余って、白ご飯が不足する。
失敗その2
海鮮を先にたべてしまって、白ご飯が余る。つまり、1の逆。
失敗その3
上記の失敗を避けるために、海鮮と白ご飯を少しずつ混合してたべ進めた結果、どんぶり内がぐちゃぐちゃになり、あの美しかった外見が無残にも「おいしい残飯」みたいになってしまう。

ううう。世間の皆さまは、海鮮丼をどのようにお召し上がりでしょうか。何かよいアドバイスがあれば教えてくださいな。でも、私は数年前、この問題をとりあえず終わらせる妙手を発見したのです。

それはですね。
海鮮丼の横に、これを配置する。

先ほど、問題を「とりあえず」終わらせる、と書きました。海鮮丼をつまみにビールをのむ。これは平和維持の名目で核兵器を使用するようなものですよ。決して上出来の解決法ではありませんね。
ビール飲みながら海鮮をたべるのは素敵だけど、「お食事」の範疇から外れた無手勝流のような気がするのです。仕事中のひるめしにはぜったいに無理だし。
と、いいつつ、私の海鮮丼に対する苦手意識はすこしずつ払拭されていきました。

これが人生経験というものでしょうかね。つまり、失敗経験1および2については、海鮮丼経験を積み重ねることにより、海鮮と白ご飯の残量を見極めながらたべ進めるという技術が向上したのでしょう。さらに終盤になると帳尻合わせを考えつつたべるというチマチマした小技を使いながら最後の着地を決める、ということで、「失敗」とは呼べないレベルに近づきました。そうなると自動的に失敗経験3も解消に向かいました。それと同時に、海鮮丼をたべることで得られる満足感もすこしずつ上がってきました。
こう書いてみると、海鮮丼というものは、その他のどんぶり物とは本質的に違うんじゃないかとも思えます。
つまり、どんぶり界の大統領と称される(かどうか知らんけど)カツ丼や、どんぶり界の賢者と称される(かどうか知らんけど)親子丼のたべ方とは明らかに違うのです。未熟な私は、そこんとこを「同じどんぶり物」と大雑把に考えていたのでしょう。だめですねえ。
人生経験というものはこんな問題も少しずつ解決してくれるもんですね。
「以前は苦手だったけど、今は好き」という変化の歴史。
これがひとつめの事例でした。

では、ふたつめにいきましょう。それは。
「レーズン」。

私の家族は全員レーズンが苦手。私の親も、妹もそうでした。かなり前のことですが、私はFacebookに「人類の半数は、レーズンがきらいだ」という、確信に満ちた長文の投稿をしたことがありました。すると、どうなったか。
「レーズンおいしい」「レーズン大好き」「みんな好きだぞ」「なんだお前は」
レーズンラブラブ派からの集中砲火を浴び、われらが反レーズン派は、水攻めを受けている備中高松城みたいな状況に追い込まれたのです。
こうなったら、ひとまず退却だ。
「人類の三分の一は、レーズンがきらいだ」に下方修正し、やむなく私の反レーズン運動は地下に潜伏することになったのでした。
この時代の私、なんて未熟だったか。今となっては反省しかありません。反レーズン派の旗を隠し持ちながら年月がたち、私の教員人生最後の学校現場で、このレーズンをめぐってこんな出来事があったのです。
それはまた、次回くわしくお伝えいたしましょうね。
