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第19回 「まるいスイカ」の底力について

2024.10.10

今書いている「四角いスイカ」のお話、今まで何度も人前で語ってきました。もう15年ほど前に語り始めてから、お話の中身は徐々に進化してきましたが、本質的には何も変わりません。流れはこうだ。

1 「四角いスイカ」の存在をお知らせして少々驚かせておきます。

2 まず、その奇抜な外見について問いかけます。

「四角いスイカって、個性的だと思いますか?」

 ここから流れが始まります。

 私が学校現場を去ったあとも、このお話はいろいろな場面で繰り返してきました。年齢層は中学生からおとなまで。この段階では、まだ「四角いスイカってすっごく個性的じゃない?」

と直感的に思う人がかなりの割合で存在しますね。

でも、「四角いスイカ」の突飛な外見だけで「個性的!」とするのは、どうも問題があるみたいだ、ということには、すぐに多くの人が気付いてくれます。あまり年齢には関係ないですね。

 その気づきを産み出すためのキーワードはふたつ。

 そのひとつが、前回お伝えした「四角いスイカ」にまつわる衝撃の事実。

このことは、四角いスイカの外観に目を奪われていた多くの人を驚かせます。むしろ、がっかりさせる、という方がいいか。「スイカ」=夏の果物の王様、という図式がどれほど日本に住む人たちに定着しているか?ってことでしょうね。だって、今年みたいに暑かった夏に、手ごろなお値段であれだけの清涼感を得られる果実がほかにありますか。ライバルはメロンかなあ。メロンでもいいや。「これは見るだけね。食べられないよ」という果物は残酷なほど人の期待を裏切ります。食べられないんだったら、それはもはやスイカでもメロンでもない、何か別の物体ですよ。

さて、もうひとつのキーワードとは。

「丸いスイカを、型にはめて育てれば四角いスイカになります。」

これでわかった。四角いスイカは、自分で「四角くなってやる」と思ってそうなってるんじゃないんですね。人間の手で、観賞用として四角いケースに入れられて丁寧に育てられた四角いスイカ。その奇抜な形をめざして人は丹精して育てあげて、その結果高価に売れる。           

そもそも「個性」という言葉は、人間そのものや、人間が生み出した芸術などに対して使われることが多いものですね。農産物に対して使っていけないわけじゃないけど、その場合の「個性」は、それを産み出した人に対する敬意と重なるものだと思うのですね。

こうなってくると、「四角いスイカ」をめぐる話もそろそろ終わりに近づきます。 

そのかわりに、改めて考え直してみたいのが「まるいスイカ」の存在だ。

実はこの連載エッセイの前回は、こんな言葉で終わっていました。

「ここまで語り続けると、学校という「人を育てる」場所での営みと、スイカを型にはめて栽培することが、なにかつながっているような気がしてきませんか。」

丸いスイカは珍しくもなんともないですが、スイカ本来の姿かたちをしていて、最大の果実として人々に愛されています。しかし、青果業者を長年悩ませ続けてきたのが「最大の果実」という事実。

やたら重い。とにかく丸い。だから転がる。転がりはじめたらやばい。どこかにぶつかっただけでキズモノになる。高いところから落ちたらもう絶望的だ。すいか畑を出発してから消費者の手に渡るまで、とにかく手がかかるやつだ。

私はずっと学校教育の世界で働いてきたものですから、こんな「スイカたち」がうごめく世界を想像すると、すぐに「学校」を思い出すのです。

転がり続けるスイカたちを静かにさせるために、学校という組織は効果を発揮する場合があります。型にはめればいいんです。幼いスイカを集めて型枠の中で育てればほぼ動かないから確かに安全。でもどうやって成長するの?

スイカの成長はすごく速いから、遊びのない型枠のなかのスイカたちはすぐに成長できなくなるでしょう。ぎゅーぎゅー詰めで放置してたらみんな四角くなるかもしれないなあ。そんな育てられかたのスイカはきっとおいしくないぞ。

農業に関しては無知な私ですが、教育の世界で、人を「型にはめる」ことが少々こわい結果を生むことを経験的に知っています。

何年か前のこと。岡山市内のある中学校で、全校生徒を対象に講演をしたことがあります。そのとき使用したスライドがこれ。

丸いスイカと四角いスイカ。少々乱暴だけど、いきなり人格をもたせてみた。

うーん。スイカに人生があるのか。まあ、あるとしてだ。

 丸いスイカの「人生」と、四角いスイカの「人生」。それぞれどんなものなのか。

中学生たちは、どちらの人生を支持するでしょうね。

彼らはいろんな発想や価値観をもっているから、ひとつの定点を与えました。

私はこの比較を、「人間」に引き戻して考えてみたら?と提案したのです。

「人間らしい人生」。

これを価値としてふたつのスイカの「人生」をくらべてみると、スッキリ。

はい。「うまい!」という、果物本来の魅力をそなえた「人生」を、中学生たちは圧倒的に支持したのです。

「うまい」という果物本来の底力。これがまるいスイカのもつ実力。

 果物の果物らしいよさ。それを人間になぞらえていえば「人間の、人間らしいよさ。」

 「人間らしい人間」が創り出すこの価値が、熱く渦巻いているのが人間社会だったはずなんだ。

 いよいよ佳境です。この項さらにつづきます。

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