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第18回 「四角いスイカは、個性的か?」~その、答えは?~の向こう側に見えること。

2024.09.03

さて、四角いスイカのお話の続きです。

 人前でお話をすることが私の職業だったんですが、思い出してみればこの「四角いスイカ」のお話は私にとって基本中の基本。建築物でいえば外観を形作っている柱や壁や屋根じゃなくて、それらを床下で支えている基礎工事みたいなもんです。

 私という人間を形作っている、その基礎の部分を「四角いスイカ」というものに託して語ってきました。最初にこのお話を生徒(中学生)の前で語ったのは平成22年(2010年)9月のこと。もう14年も前のことかあ。ていうか、14年間にわたって同じようなお話を人前で語ったり書いたりしてきたんですね。かわりばえしませんねえ。だって基礎ですからねえ。

 このお話を生徒の前でするのに最適な季節は「夏」でした。なにしろ、実物を手に入れることができますからね。この日も「四角いスイカ」の実物を手に入れてきましたよ。なかなか高価な品でしたから、家族にはもちろんナイショで。

 

実物を見れば、その特異な容姿が発するインパクトがどれだけ強烈なものかがおわかりでしょうね。深緑色に黒いぎざぎざ模様が普通のスイカと同様にあることが、球体だったはずのスイカが立方体になっていることの驚きをさらに大きくさせています。

さらに演出として、まずは白布をかけてテーブルの上に置いておく。そしてマジシャンみたいにサァッと白布をめくって御覧に入れる、という小細工までしちゃいました。

すると、どうでしょう。

「おおお~」というどよめき。

生徒は何百人もいるので、その場所全体に響くような、このどよめきは迫力がありましたねえ。

どよめきが少し静まったころに、まず、最低限の情報を提供。それは。

〇これは作り物じゃなくて農園で育った本物の植物であること。

〇色と模様からわかるように、これは「スイカ」の一種であること。

〇実際に、香川県善通寺市で作られていること。

〇スイカを四角く成長させることは難しいので、これは貴重品であること。

〇校長が自分で購入したこと。結構高価(ウン万円)だったこと。家族には内緒であること。

  そして、生徒たちに、こう問いかけたのですね。

「四角いスイカは、個性的なスイカだと思いますか。」

ああ、やっと前回の文章の、最後とつながりました。

もともと丸いモノが四角になっているというのは、確かにインパクトがありますね。ここからが大切なテーマです。

 この四角いスイカのことを「個性的なスイカ」と言ってよいものでしょうか。

 

 「個性」という言葉は便利に使われています。国語辞典には「ある個人を特徴づけている性質や性格」というふうに説明しています。この四角いスイカは確かにその外見がとても特徴的ですね。突飛なビジュアルをしていれば「個性的」、ということなのかな?

 ここまでの問いかけで、話を聴いている生徒たちの表情が変わってきたのがわかりました。彼らの表情はこう言っています。

「え? すごくユニークな形だから、それって個性じゃない?」

「え? 個性って、人間について使う言葉じゃなかった?」

「え? 個性って、どんなことだったっけ?」

 徐々に「四角いスイカ」をめぐる生徒たちの思考が、混乱しはじめたのが見えてきました。よしよし。ここでとても大切な、この情報を入れてみよう。

この高価なスイカ、いったいどんな人が買うのでしょう。早速冷やして今夜食べよう、という人は買いません。なぜなら、四角いスイカは食べられないからです。つまり観賞用です。だから人目を引くインテリアにするとか、私みたいに話のたねにするとかいう、ちょっと特殊な事情がある人しか買いませんね。

「食べられない?!」

  驚きざわめく生徒たち。

こうなると、「四角いスイカ」と「普通に丸いスイカ」の相違点は、どうも外見だけのことだけではないような気がしてきます。

そこから、四角いスイカは「個性的」と言えるかどうかが見えてきます。

ざわめきの後、静まり返った生徒たちに、私はさらに言葉を投げかけました。

 まず、そもそも「個性」というものは「人目を引く」とか、「話の種になる」という程度のものなのでしょうか。そして四角いスイカには、決定的な悲しい弱点があります。「食べられない」ということです。これはどうにもなりません。食べられないスイカは、インテリアになって話の種になるけれど、ただそれだけのものです。このスイカを苦労して作った人には申し訳ないけれど、四角いスイカは少なくとも私の大好きな夏の果物の王様である「スイカ」とは別物です。

 見た目が奇抜だけど、多くの人が受け入れがたい弱点があるスイカは、やはり「個性的なスイカ」とは言えないと私は思います。食べ物にならないスイカは、本来ぜんぶのスイカが持っているはずの「暑い季節に冷たくひやして食べると実にうまいくだもの」という特長を持たされずに売られています。食べ物じゃなくて置き物なんですね。

つまり「見た目がほかと違う」こと、イコール「個性的なもの」じゃないのです。四角いスイカは、食べられない置き物ですから、もはや「個性的な果物」にはならないですね。  

四角いスイカは「果物」という属性をかなり離れた、人目を引く奇抜な形の置き物。

だんだんと、この四角いスイカがかわいそうになってきました。果物として人に愛される存在ではなくて、奇抜なインテリアとしてつくられたのですから。

本来なら丸いままで成長するはずだったスイカを、子ども時代に四角い型にはめこみ、文字通り「型にはめて」大きくすれば四角いスイカになります。よく考えてみれば、食べ物という世界から完全に離してしまって、例えば花卉園芸の産物、つまり観賞用植物のひとつと割り切ってしまえばすごく当たり前な話です。多くの人の鑑賞にたえるだけの植物を育てるには、私みたいな素人には想像もつかないほどの苦労があるのでしょう。

ここまで語り続けると、学校という「人を育てる」場所での営みと、スイカを型にはめて栽培することが、なにかつながっているような気がしてきませんか。

私が始業式とか終業式とかの場で展開したトークショーの聴衆の多くは生徒たちです。しかし、大切な副産物があることを私はいつも意識していました。それは「生徒に日々直接かかわっている先生たちも聴いてほしい」ということです。歴史上、教育が荒廃した時代は何度もありましたが、その原因は、すべて大人にありましたから。

「四角いスイカは個性的か」というお題のトークショーにまつわるお話。

もう少し続きます。

 

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