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第12回 いつまでも変わらないこと。少しは変わったこと。

2024.01.17

 

仕事をやめて、フリーハンドで日々の自分をデザインできるようになってもう9か月。

この書き方はすごくかっこいいけど、要するにご隠居生活にすっかり慣れてしまって、もう一度働きなさいと言われたってもう戻れませんよお、という状況なのですね。

 いちばんの理由は、時間に束縛されない生活が9か月続いてしまったから。アラームで目が覚めるのは週2日のゴミ出しの日だけで、あとは体内時計が生活全体を統括するクロックになったので、以前と比べればはるかにゆっくり。勤務時間や行事日程が自分を統括していたと思うと何だかおそろしいですな。

 考えてみればこれは人生のなかの革命みたいなもの。例えば職業人をやめたりすればこの革命はだれにでも当たり前のように起こります。

 でも、この革命によって、人格まで変わるかと言えばそうじゃない。私の場合、変わらない、というか変えようのない部分がほとんどだと思うのです。

 例えば、「好きなこと」。前回、まさにそのことについて書きました。「自分は、いったい何が好きな人間だったのか」などという、生きていくうえですごく当たり前のことが、ふとわからなくなった。それはこの革命によって、社会の中での自分の立ち位置が変わったので、自分の視野にはいっていた景色の構図が変わったために起こった現象でした。自分の「好きなこと」の根っこは、そう簡単に変わりゃあしませんよ。

 前回、私がお手伝いしているフリースクールのトイレに置いた「フィギュア」のことを話題にしましたね。66歳になったお爺が、フィギュアをコレクションしているってカワイイではないですか。これは、私の人格の一角を占める「収集癖」というものの一例になるんですが、これは変わりようがない。そして収集したものは誰かに見せたくなる。これまた変わらない私の性癖です。「好きなこと」の露頭が見え見えですね。

それから前回の文章のなかに「水戸黄門フィギュア」というものがさらっと登場しましたが、これに反応していただいた方、必ずいらっしゃるでしょう。私が初めて校長になった学校の、校長室前の廊下にこれを並べておいた、というお話です。

 今の小中学生は、もはや「水戸黄門」を知らない世代。これを面白がってくれる人はこれからどんどんいなくなっていくのかもしれない。だとすれば、私が秘蔵している「水戸黄門フィギュア」なるものの存在価値はどうなるのでしょう。これは大変。だからこのことは書き残しておかねばならない。大切な紙面を私物化する行為ですが、そもそもこのエッセイはコテコテの私物を陳列しているようなものだからお許しくださいまし。

 さて、令和の時代のいま「水戸黄門フィギュア」というものは世間的にどのように認知されているのでしょうか。こんな時便利なのがインターネット。早速ググってみましたよ。

 ははあ。ちゃんと出てきます。多くはオークションサイトに出品された画像ですが、驚いたことにどれも数千円の値段がついている。黄門さまを中心として、助さん、格さんと

いう腹心の部下を配置すればこのような基本的な情景ができあがります。

続きまして、これに「悪徳商人」「腐敗武士」を数体配置すればこうなるわけです。

これが販売元のタカラが提唱する「大土下座世界」というもの。これぞ日本が世界に誇る様式美というやつですな。実に見事な世界観ではありませんか。もともとこれは、入浴剤が同梱されたおまけ玩具でした。グリコのおまけみたいな「食玩」はたくさんありますが、これは珍しい。完全に購買層はオトナですな。

 そして、この基本セットに加えてレアアイテム「悪代官」「風車の弥七」などがあってこれを引き当てると喜びも絶頂、という寸法。

実に実にすばらしいではありませぬか。この壮大な勧善懲悪の一大世界が、あなたの机の上に展開するわけですよ。これを見て、これらをすべて手に入れたいと望むこそ人の性というもの。いますぐ買いに行くべし!

 と、言ってももはや手遅れ。この商品は20年ほど前に販売を終了しており、今はプレミア付きでオークションサイトに出品されているのですね。

 さて、話を戻します。これを私は、当時校長をやっていた学校の、校長室前の廊下に展示していたのです。中学校の校長室前の廊下といえば生徒はあまり寄り付かない場所ですが、こんなものが置かれていれば当然状況は変わってきますね。この「校長室前の黄門様ご一行」コーナーはなかなかの人気を集めました。

 その当時、このことは私が発行していた「学校通信」にこのように書いています。

…これらは全部私のコレクションで、10年ほど前にある玩具メーカーが入浴剤のオマケとして作った物です。あまりの面白さに、私はこれを大量に大人買いしてしまった。中央に「笑う黄門さま」、左右に「刀を抜いた助さん」と「印ろうを見せつける格さん」、その前に数名の悪徳商人や腐敗武士が土下座しているおなじみの「大土下座世界」が基本形。さらに楽しいのが1日に何度も「土下座」の様子が変わることです。これは私が変えているのではなく、ここの廊下を通る生徒や先生が勝手に変えてくれるのです。棚の上で勝手にさわれるので、みなさん好きなようにやってくれます。土下座の列がたて一列横一列V型T型と変化したり、悪徳商人が人間ピラミッドを作る「組み体操型」や、時には助さんが黄門さまに切りつけるという現実ありえない「ご乱心型」。いや楽しい楽しい。

これが、基本形。

そして、フォーメーション変更「V型」。

続いて高難度の「組体操型」。

続いて「マーチング型」。なんだか楽しそう。

これはありえん「ご乱心型」。

この状況は私がその学校を去るまで、変わらず続いていました。フィギュアは一体も壊れず、盗まれもせず、毎日フォーメーションを変えていました。

今から11年前の2013年4月の、岡山後楽館中学校の学校通信「後楽館未来中心」には、さらに続けてこう書いています。

「人の物を盗む」→「バレると罰を受ける」→「だから盗めない」という理由だけで、黄門さまは無事なのでしょうか。私はそうは思っていません。大切なことは、毎日何度も変わる「土下座フォーメーション」を、「みんなが楽しんでいる」ということだと思うんです。例えば、誰かがずらっと一列に並べた「マーチング型」の土下座世界を見てハハハと笑った人が、よし自分も変えてやろう。「組み体操型」じゃ! …というような心の動きによって黄門さまの土下座世界は保たれています。「これ、おもしろい!よーし、私も次の人を笑わせてやる!」という心の動き。ここには「次の人」という相手が存在します。誰だかわからない「次の人」に渡すのは、「ユーモア」という明るい心のはたらきです。これを受け取った人は、そのまた次の人に同じことを仕掛ける…ということが、1年続いていたということです。

 これは、大切なコミュニケーションです。言葉は少しも介在しませんが、「自分が楽しいと感じたことを、他の人に伝える」ということが、校長室前の廊下で行われているのです。

 今日もこれから、黄門さまの土下座世界はフォーメーションを変えていくでしょう。だれがやったのかわからない楽しいことを、自分が、自分のユーモアのセンスでアレンジして、次の人に伝える、というのは、なかなか高度な心の活動です。しかも、それを何人もの人が毎日続けて1周年!

 後楽館の生徒は、このことの値打ちがわかるんです。だから、楽しいコミュニケーションの輪を切断するようなこと(持ち去るとかこわすとか)はまったく問題外です。バレたら叱られるからこわされない、なんていう話じゃないんですね。秩序を保つために大切なのは罰則だけじゃありません。

なかなか、ええことを書いているではありませんか。自画自賛。私の考えてること、やってることはあれから11年たった今もあんまり変わりませんね。

 さて、そろそろ今回のこの文章もおしまいにしましょう。去年の12月ぐらいから少し忙しくなって、なかなか原稿書きが進みません。理由は、すこし大事なことを始めたから。

 また職業をもったのではないです。言ってみれば趣味です。さらに言えば音楽です。

 音楽がすきなのは子どもの頃からのことで、これは変わらない。でも、どんな音楽が好きか、どんな形で音楽を楽しむかは少しずつ変わってきました。

 

 では、さっき書いた「大事なこと」とはなにかというと。

 はい。バンド活動を始めました。

 このことは、またそのうち詳しく書くことになると思います。バンド活動はずっと若いころにやってたんだけど、「大事なこと」という改まった言い方をしたのは、いままでやったことのない形だからです。それは。

  • シンガーソングライターのバックバンドの一員になりました。
  • コピーバンドじゃなくて、フルオリジナル曲ばかりやってます。
  • 担当はベースです。ドラムレス。大音量は必要ないと思ってます。

私にとって、今までの音楽志向から言えばこれもちょっとした革命なんですね。まだ一度しか人前でのライブ演奏はやってないし、そもそも演奏技術はほぼシロウトだから大げさに吹聴するようなことでもないです。

シンガーソングライターとは岡山在住の「陽空希衣(ひあきけい)」さん。

少し前に書いた、私の音楽とのかかわりの歴史からするとかなり違います。やはり2023年冬の革命といっていいな。

変わらないけど、変わったこと。人にはこんなこともあるのだな。

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