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第6回  暑いから、これを食べる

2023.08.20

少し長めの盆休みをいただいていました。読者の皆さま、いかがお過ごしですか。

 毎日体温並みの気温が続いているけど、こんな時季に元気を維持するには、うまいものをたべて元気をつける以外の方法を私は知らない。さて皆さま、暑いとたべたくなるもの、なんでしょうか。

 はい。それは、冷やし中華です。

なにしろ夏にしかお店で出会えないですから。夏の始まりには冷やし中華をたべることで自分に「夏が来たぞ。よしがんばるぞ。」と言い聞かせ、店主に突然「冷やし中華は終わったよ」と告げられて、無為に過ごした夏の終わりをさびしく実感する。

私にとっては、もう何十年も繰り返すサイクルなのですね。

冷やし中華が冬季に食べられない問題については、1970年代にジャズピアニストの山下洋輔氏が「全日本冷やし中華愛好会(全冷中)」という団体を結成し、それに筒井康隆、坂田明、デビュー前のタモリといった凄いメンバーが賛同して、当時はちょっとしたブームになったもんです。そんなこともはるか昔ばなしになった今、冷やし中華をリスペクトする人はずいぶん減ったような気がするのは私だけだろうか。寂しいなあ。

いま、俳句がブームだけど、季語を集めた「歳時記」にも冷やし中華を夏の季語として扱っていないケースがあるらしい。なぜなんだ。

私はこう推理する。

冷やし中華を実際にたべている人の総数が、意外なほど少ないから。

ひと夏に一度も冷やし中華をたべずに秋を迎える人って、かなりいるような気がしますね。ラーメン店で「冷やし中華始めました」という張り紙があっても、大半のお客さんは平然とラーメンをたべている。つまり、日本に住む人たちにとって、冷やし中華の存在って「あー、そんなもんもあったなあ」程度のものだったのではないですか。冷やし中華を偏愛する私にとっては実に嘆かわしいことです。しかし、ラーメンやカレーのもつ強い求心力と比べると、冷やし中華は確かに非力。うーん。

何だか気弱になってきた。なので、この文章のなかで冷やし中華について書くのはもうこのへんでやめておきます。冷やし中華愛好家の皆さま、次の夏にはもう少し冷やし中華の評価が見直されていることを夢見て筆をおくことといたしましょう。ちーん。

と言ってこの文章が終わってしまうとつまらない。冷やし中華みないな季節ものじゃない「通年もの」の中にも、夏になると一層「人をそそる力」を増すたべものがあるのです。

それは、なにか。

はい。「焼きめし」です。

いきなり異論を唱える声が聞こえますね。

まずカレーやラーメンを出し抜いて、焼きめしを取り上げることの是非だ。

これには、こうお答えするしかありませんな。

「私が、そう思ったから。」

暑い季節になると、アツアツの焼きめしに食らいつきたくなるんです。顔から汗を吹き出しながら、湯気の立つ焼きめしの山に「ぷすっ」とスプーンをつきたてる。うおお~っ!

想像しただけでアドレナリンがどばどば出てくるではありませんか。

ラーメンやカレーもおいしいけれど、春夏秋冬を通してそのおいしさは安定していて、ある意味「余裕派」っていう感じ。

それに対し、夏場の焼きめしには他の季節のそれにはない獰猛さがあると思うんですね。つまり「野獣派」っていう感じ。

え?よくわからん? わかってくださいよう。

これはもう議論にはなりませんね。だから早速、もうひとつの「異論」にお答えしましょう。(雑談だからこその話題転換。)

つまり、「焼きめしとチャーハンをどのように区別するのか」というご意見。

お料理の本にはたいてい、「卵を最初にいためて、その後ごはんを投入するのがチャーハン」と書かれています。だからごはんをいためてから卵をあとで加えるのが焼きめし。

私も、かなり長い間、そう思っていました。ところが、いろんなお店で「焼きめし」あるいは「チャーハン」をたべてみると、この原則はかなりに例外が多い、ということに気づいたのです。

卵→ごはん、の順で焼いても「焼きめし」を名乗るケース。そしてその逆のケース。

これは、どういうことだ。

いま、私はこう思っています。

作り手が「いま、自分は焼きめしをつくっている」と思いながら焼いてるんなら、それは焼きめし。

「私はチャーハンを焼いている」と思っているのなら、それはチャーハン。

つまり、それは作り手の意識、つまり自分の仕事に対する確信こそが基準であって、調理方法で分類されるものではない。

ここでさらに、考えあわせないといけない概念があります。すなわち。

中華料理店で供される「焼きめし」は「チャーハン」と称されることが多く、中華以外のカテゴリーに属するお店では「焼きめし」とされることが多い。

別の整理が出現しました。もはやこうなってくると、「焼きめし」と「チャーハン」の違いは確かにあるような気がするけれど、それはあまり突き詰めて考えるほどの問題じゃない、という新境地にたどりつきますね。

もう、そろそろ今回の稿をおしまいにしましょう。でも最後にご紹介したいのが、私の住んでいる岡山市で食べることができる「うまい焼きめし」。

まず「宝来軒」の焼きめし。北区表町2丁目の中華料理店。いわゆる町中華だけど「焼きめし」と称して毎日行列をつくっている。中華ならチャーハン、の原則は早くも崩れた。パラパラと粒のそろった香ばしい焼きめしはそりゃもうたまらぬ。ビールにも合うあう。

もう一軒、「シモショク」の焼きめし。南区の中央卸売市場の中にある、いわゆる洋食屋。かつて市内中心部「下之町」にあった洋食屋の「焼きめし」だ。具材たっぷりだがくせがなく、スプーンが自然に動いてしまう絶妙の味。「オムライス」と並ぶ二枚看板の一品。

このふたつのお店に共通することがあります。

  • 「一人前の量」の概念が完全に突き抜けていること。どちらもすごいボリューム。いずれも「大盛り」をオーダーすることもできるが、これは相当な覚悟が必要ですよ。子どもの頭ぐらいありますから。
  • 作り手が、ひとりであること。「宝来軒」はカウンターと小あがりのテーブルがあったりしてスタッフは数名いるけど、焼きめしを作るのはおやじさんだけ。「シモショク」はカウンターだけのお店で、おやじさんとおばちゃんの完全ツーオペ。どちらにも共通するのは、焼きめしを焼いているおやじさんの後ろ姿だ。これがほんとうにかっこいい。

中華部門、洋食部門を代表する名人だと私は思うよ。

 あー、おなかがすいてきた。明日の昼ご飯は、どっちにしようかなあ。

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