第2回 名前をつけること
2023.07.11
連載第一回目の話題は、私の先祖が考えた「名字」でした。
読者の皆さまからの反響はさまざまでしたが、「上大長のままでよかったんじゃないか」という意見が多かったのが面白い。私のことをよく知る人ほどそう言われるからそうなのかもしれない。
でも私が思ったのは「名字を自由に考えていい、というのはすごく素敵だ」ということでした。
そもそも、私はものごとに名前をつけることが好きなのだ。一例をご紹介しましょう。
暑くなってくるとビールがうまい。
ビールは人類が発明した最高の食品であると信じている私は、ビールを造ることに熱中していたのです。もう30年ほど前のことか。私はビール醸造用の器具を購入し、本当にビールを造っておりました。ビールの原材料もちゃんと販売されていてそれを取り寄せればあとは割と簡単。殺菌と温度管理をきちんとすれば古代エジプト人が造ってたみたいな本物のビールができます。もちろんアルコール1%未満なので酒税法に触れませんよ。(ビール造りのテキストには「瓶に詰めて栓を打つ前に砂糖を加えると二次発酵が始まりアルコールが発生するので十分気をつけなさい」と書いてあったので、私はものすごく、十分に、気をつけましたよ当然。)瓶詰めしたビールにはお手製のラベルを貼って完成。私って本当に凝り性なんだな。さて、ここで楽しんだのが日本酒の「大関」とか「菊正宗」みたいな「銘柄」を考えることでした。
ビールのモト(麦汁)の種類によって味や色に違いが生まれます。できばえによって直感的にネーミングを考える。
濃い茶色のデュンケルタイプのビールができたときは「秋茜(あきあかね)」。
香ばしい黒ビールができたら「黒光(くろびかり)」。
いろいろ作りましたが、私のいちばんのお気に入りは口当たりのよいピルスナータイプ。
これにはこう名付けた。「人生如泡(じんせいあわのごとし)」。
我ながら秀逸な命名だと思うなあ。こんなことを書いていたらまたビール造りをやってみたくなってきた。最高の自家製ビールが完成したらその名前こそ「上大長」がいいのかもしれないなあ。
子どもに命名することは一生ついてまわる重い仕事だと思うけれど、この程度の命名は自分の楽しみの範囲だから軽いもんです。
でも「名前をつけること」は対象となるそのものにある「思い」を託することだ。大げさに言えば愛情をかけることか。
農作物に素敵な名前をつけることが一般化したのは当然ですね。愛の結晶ですからね。
今思い出したけど、アキアグリの藤井代表から、創立時に社名をどうしようかという相談を受けて、すごく考えた結果「自分が立ち上げる会社は自分の分身みたいなもんだから、自分の名前をどこかに入れたら?」と適当にお答えしてしまいましたら、何とそれが採用されてしまったのです。
学校現場にいた頃、お掃除好きな私は愛用のホウキに「風神」チリトリに「雷神」という名前をつけて校内を掃きまくっていたが、そんな小学生並みのセンスしかない私に、大切な会社の命名について相談をかけるなんて大胆というか無謀というか。
でもそれが法人登記され、ユニークな合同会社としてきちんと業績を出しているんだからあっぱれですね。
※すごく考えたのは本当なのでちょっとだけ言い訳します。
AKIAGRIの「AKI」はご本人のお名前からの引用ですが
AGRICULTURE as KINETIC INTELLIGENCE=動的な知性としての農業」の略、という意味が隠れているのですよ。
英文法的に正しいのかどうか怪しいが、何かかっこええじゃろ 😎
私はもともと中学校の国語教師でしたが、私の教え子ならば全員わかっていると思うけどとにかく授業は脱線脱線また脱線。
その結果、最大の欠点は「授業の進度がきわめて遅い」ということでした。
このエッセイもなかなか本題に入りません。そもそも何が「本題」になるのか自分でもわからない。
なぜならこれは「雑談」の究極の形だと思っているから。読者の皆さまと、このコラムで延々と雑談を続けている私。
今回は「名前をつけること」を巡っていろいろと書きましたが、次回はさらに開き直って、この事実からお話を始めることにしましょう。
中学校長になった私は、勝手に部活動をつくった。それは「雑談部」である。
「雑談部」…??? なんじゃそら、ですね。
どうか、お楽しみに。