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第1回 プロローグ

2023.07.03

読者の皆さま。初めまして。

このコラムを執筆することになりましたので、まずは自己紹介させてください。

 

名前は植田朋哉(うえだ・ともや)、65歳男子。

 

大学を出てからずっと教育に関わる仕事をしてきてはや43年。今年の3月末で公職をすべて退き、晴れて自由の身になりました。

 

 

アキアグリの藤井代表とは岡山市内のとある学校で一緒に働いていたことがご縁のはじまりです。

全然違う立場だったのに、私(実は校長)が生徒と遊んでたりしたらしょっちゅう自分の仕事(事務主任)をほったらかして遊びに加わってたりで、職場は同じ場所でしたが一緒に働いた、という意識はなく、遊び仲間、というのが本当のところ。その時代が終わってからなぜか藤井代表も私も岡山市役所づとめになったりしましたが、何か新しい遊びをみつけてはうれしげに連絡を取り合う、という関係でした。

それからさらに時間が過ぎて、自分の事務所を立ち上げる際に「アキアグリ」という事務所の名前を考えるお手伝いをさせていただいたのも意味あるご縁のひとつ。今でも藤井代表は私のことを「アキアグリの名付け親」と呼んでくれます。これはずいぶんと大げさな賛辞だと思うが名誉なことなので特に否定しないことにしておこう。

 

アキアグリは農業者の支援を行う場所。私は教育畑の人間。あまり関係ないみたいですね。でも、農

業と教育の関係づけはそんなに難解で強引なものじゃないと私は思っています。

そもそも私の名字は「植田」ですよ。本籍地は備後国広島県三原市の山間です。本家の仏壇から発見された系図によると明治維新後に名字をつけろとお上に言われて名乗ったのが「植田」。そりゃお百姓の一族なんだからまあ自然なネーミングですが、もう一ひねりできんかったんかな、と思いますね。

 

ここで、今まであまり明らかにされていない事実をご紹介します。

明治のご一新後、私の先祖が考えた最初の名字は「植田」じゃなかったんです。ではなんであったか。
「上大長」。うえだいちょう、と読むのですが、こりゃあ一体なんだ。私のご先祖様はこうお考えになった。「上と下なら上がいい。大と小なら大がいい。長と短なら長がいい。世の中のよさげな価値を三つ並べたら極めて縁起がよい。」
これで戸籍が作られました。確かに明治初期の私の一族は「上大長」と名乗っていたらしい。なんて調子のいい一族なんだ。それがなぜ「植田」になったか。私の祖父は「長えし、だいたい恥ずかしいがな」という意見だった。なんて適当な一族なんだ。

このような系譜をもつ、たぶん先祖代々お百姓だったらしい植田が、しばらくの間このコラムを担当させていただきます。

私の祖父の代でお百姓の時代は終わり、学校の先生の系譜が始まりました。

私の両親も私も私の妻も長男も教員。農業と教育はどこでどうつながるか。

 

自分でも初めて取り組むお題です。どうかよろしく。

 

【略歴】

1980年(昭和55年)  邑久郡(現瀬戸内市)邑久町立邑久中学校 教諭

1988年(昭和63年)  岡山市立岡輝中学校 教諭

1996年(平成8年)   岡山市教育委員会指導課 指導主事

1999年(平成11年)  岡山市教育委員会学事課 学事主任

2003年(平成15年)  岡山市立岡輝中学校 教頭

2006年(平成18年)  岡山市教育委員会指導課 課長代理

2008年(平成20年)  岡山市教育委員会指導課 課長

2010年(平成22年)  岡山市立岡山後楽館中学校 校長

2014年(平成26年)  岡山市教育委員会教育次長

2016年(平成28年)  岡山市立御南中学校 校長

2018年(平成30年)  岡山市南部適応指導教室 室長

2022年(令和4年)   岡山市児童生徒支援教室 そよかぜ平福 室長

2023年(令和5年)   公職を辞する

フリースクールもえぎ・無花果高等学園事務局長に就任

 

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