第32回 ずうっと昔の、なつやすみ。
2026.08.10
世間は酷暑のことでもちきりですね。確かにここ2年ほどの夏の気候は異常だということに異論をはさむ人はいないように思います。特に私みたいな昭和生まれの人間は強くこう思うのですね。
「昭和の夏は、よかったな。」
そもそも、梅雨が明けた夏の始まりからしてすっきりしていた。何日もぐずぐずと雨が続いたと思ったら最後に大雨、おまけに雷がどんどこ鳴ったりして、オーケストラの最終楽章みたいに盛り上げておいて、すかーっと夏が始まるんですね。
梅雨明けから数日たったら夏休みが始まって、まるで打合せでもしていたように蝉が鳴き始める。鳴いている蝉はアブラゼミだ。ジジジ、ジリジリ。夏休み中の日々はなぜか早く過ぎてお盆がおわったらツクツクボウシが鳴き始める。子ども心に、虫のくせにあんな込み入った二部構成の鳴き方ができるものだと感心していたなあ。自宅からほど近い里山に入るとヒグラシの声が聞こえて、これまた子ども心に「哀愁」という言葉の意味をなんとなく教えてくれたもんです。
昭和(から平成前半)の時代、つまり私にとって「ずうっと昔の夏休み」に子どもたちはいったいなにをして過ごしていたのか。
さっきまで蝉の話をしてたから、当然思い出すのは「セミ取り」だ。私もやったことはある。
しかしですね皆さん。セミ取りって、楽しかったですか。
ジジジジ鳴きながらけっこうすばやく逃げていくやつを追尾して、網でからめとる、というのは、まあ楽しいか。子どもなりの狩猟本能みたいなものが働いてたのかもしれんね。
しかし、捕獲したやつを虫かごに入れて持ち帰っても全く利用価値がないではありませんか。蛍だったらしばらく明滅するかぼそい光を楽しむこともできる。虫かごに収容された蝉はほぼ即死してたと思う。狩猟本能の特に強い小学生は、小さな虫かごに瀕死の蝉をぎっしり入れて見せびらかしていたな。時々発作的にジッジジージー、などと騒ぐ蝉の集団はかなりに醜悪で、結局私は蝉取りを夏休みの遊びに位置付けることはありませんでした。
では、何をしていたんだ私は。ずうっと昔の夏休みに。
「午前中の涼しいうちに勉強しとかれよ」と言われてたのはよく覚えてますね。夏休みには学校から宿題が出されてて、その名も「なつやすみのとも」という偽善的なタイトルのついた冊子が一冊。その他自由課題的なことがいくつか課せられていたと思う。「なつやすみのとも」を友達と思うやつは変態だ。小学生の間、そいつと仲良くしたことは一度もない。その他の課題はなにをやったのかほとんど記憶がない。どうせ私のことだから先生や親から叱責されないボーダーラインを極めていたような気がしますね。
と、ここまで書いてひとつだけ思い出しました。小学生の後半、私が熱中していたことを応用して夏休みの宿題を切り抜けたことを。
こんなボンクラ小学生だった私にもひとつだけ好きな教科がありました。
はい。「図画工作」であります。
略して「図工」でしたね。これは絵を描く「図画」と工芸的な「工作」の2ジャンルがありました。私が好きだったのは「工作」でしたが、それは小学生にしては手先が器用な方で、ちまちましたモノづくりが好きだったからでしたね。
そんな私は当時の男子の大半が熱中していた趣味「プラモデルづくり」にはまり込んでいました。令和の時代でも「ガンプラ」という分野に熱中するモデラーがいらっしゃるらしいけど、昭和の時代の「プラモデル」は、第二次大戦時代に戦争の道具となっていたものどもが模型となって人気を博していましたね。
主なジャンルは「飛行機」「戦車」「軍艦」でしょうな。多分だけど、一番人気は「飛行機」だったと思う。理由は、売られているプラモデルの中でも飛行機は値段が安かったから。300円ぐらいでけっこうまともな製品がありましたっけ。ただエンジンが何発もついていた大型機はどれも値段が高く、ビンボウ小学生だった私は小型の戦闘機ばかり何機も作ってました。有体にいえば、小学生時代に作ったプラモデルの過半数が「ゼロ戦」でしたね。安い組み立てキットはどれもつくりが似ていて、ゼロ戦21型とゼロ戦52型は外見では区別できるけどプラモデルを組み立てる楽しみは同じようなもの。きれいにラッカーで塗装してジオラマ風にしつらえれば上級者の仲間入りをしたかもしれないが、小学生の経済力ではとてもそんなことはできませんでした。
ただ、費用を少し追加すればグレードアップさせることはできました。それが「モーターライズ」というワザ。簡単に言えば、模型用の小さなモーターを買ってきて、プラモデルのどこかを「モーターの力で動かす」ということです。
ここまでくると、私が選んでいたジャンル「飛行機」の限界がいきなりみえてくるんですね。
問題は、なけなしの小遣いをはたいて買ったモーターでプラモデルのどこを動かすか、なのでした。
プラモデルの知識がない方にもお分かりだと思うけれど、「飛行機」なら断然「プロペラ」ですね。それ以外にはあまり考えられんでしょ。確かに小さなプロペラがブーンと回っただけでちょっと気分がいい。
次に「戦車」ならば「キャタピラー」です。自動車ならタイヤなんだけど、戦車はキャタピラー、つまりブルドーザーを動かしているベルトみたいなものが実に強力で、プラモデルであっても自動車なら前へ進めない段差を楽々と越えて進むんですね。最後に「軍艦」ではもちろん「スクリュー」でして、これは完成したプラモデルを池やプールに持ち込んで水上を走らせるためのもの。たいてい最初の実験場はお風呂でしたが、防水という難しさが加わり、上級者向けでした。
このように、プラモデルの「飛行機」「戦車」「軍艦」をそれぞれ「モーターライズ」した場合、本質的に違うものがひとつだけありますね。なんでしょう。
はい。ずばり「飛行機」ですね。模型用のモーターの力では飛行機を空に飛ばすことはおろか、地面を滑走させることもできません。そこでじっと動かずに、プロペラをブーンと回しているだけ。
戦車も軍艦も、モーターの力で本体を動かします。ところが飛行機はじっと動かずに「ブーン」。
まるで、ゼロ戦の形をした扇風機ではありませんか。これにはモーターを買うだけで経済破綻してしまった私はげっそりしてしまいました。情けないけど、金の切れ目が縁の切れ目。この段階で趣味としてのプラモデルづくりは終わってしまいました。
さて、肝心なのはその翌年の夏休みのこと。
今年も自由課題には「工作」を迷わず選んだ私は、なにを作ろうかあまり考えずにだらだらと過ごし、早くもお盆過ぎてしまったのです。さあ困った。何を作るか早く決めて取り掛からないと。
と、あまり焦りもせず去年まで熱中していたプラモデルの残骸をいじっていて、見つけたのがあの「モーター」。1個100円程度のマブチ15という安物で、あの情けない「ゼロ戦型扇風機」に取り付けていたやつだ。
「お! これ、使えるわ。」
時は残暑厳しい8月下旬。私が小学校5年生の夏休みの工作作品として、たった一日で完成して、大いばりで提出したのが「小型扇風機」。
2学期が始まると、夏休みの工作は教室に展示されます。そこで私の作成した「小型扇風機」は、なかなかの人気だったのです。
それは、なぜか。
扇風機というものはふつう、危険防止のための金網みたいなものに守られた中でファンが回って風を発生させますね。モーターに至ってはほぼむき出しですね。
私が製作した「小型扇風機」は、それら全部を小さな箱にむりやり収めました。風の出口には親にもらったストローを20本ばかりならべて、一見「ルーバー」風に仕上げました。モーターには、ひもを引っ張って空に飛ばすおもちゃから流用したプロペラを取り付け、電源の単1電池2本とスイッチ、これら全部を内蔵した「小型扇風機」は、収めたケースが母からもらった化粧品かなんかの箱だったので、労せずしておシャレな外見に仕上がってしまいました。スイッチを入れると確かに風が出てくるのですから、なかなかの存在感を発揮しました。
「扇風機」というより、外見は「エアコン」に近い。それは言い過ぎか。でもね。
今だから言えることなんだけど、いやもう大きい声では言えないんだけど、小さい声じゃあ聞こえない。だから言っちゃいますけど、私があのとき提出した工作の、その外見は、ここ数年日本の夏の人気商品として通販業界で名の知られた「小型クーラー・ここひえくん」とそっくりなんですよ!
令和8年版の「ここひえくん」は高さ20センチぐらいの箱型で、すっきりしたデザインの人気商品。
そして私が提出した、昭和44年版の「小型扇風機」も、扇風機には見えない立方体でオシャレなデザイン。もとはプロペラを回すしか能のないゼロ戦52型のプラモデルだったとは誰も思うまいて。
大胆にも、あの当時の私は、こう考えたのです。
たしかに私はぐうたら小学生だけど、一瞬のひらめきでピンチを切り抜けることは得意なのかもしれない、と。
確かに、宿題の提出というピンチは切り抜けました。
ところがです。
理科が専門だった、担任の先生の目はごまかせませんでしたね。
展示された作品にはすべて、担任の先生の「寸評」が書かれたカードが張り付けてありました。
そのカードに書いてあったこと。
「かっこいいデザインですね。デザインはいいんだけど、実用には問題があるね。
電池は、どうやってとりかえるの?」
ああ、50年後に誕生する「ここひえくん」を先取りしたかもしれない、あのデザイン。それは化粧品の箱にむりやり部品を貼りつけて、外見をすっきりかっこよくするためにビニールテープでミイラみたいにぐるぐる巻きにした結果なのでした。確かに電池を交換するにはテープを全部はがして、一度分解しなくちゃいけない欠陥品だ。モーターライズのプラモデルづくりを経験した男子なら、すぐに見破りますよ。作った自分でも「宿題として提出できりゃいいさ」しか考えずにエイヤっとやっつけた仕事だってわかってますよ。
電池が消耗して動かなくなったら壊すしかないオシャレな小型扇風機と、プロペラが回るだけでびくとも動かないゼロ戦のプラモデル。もとをただせば1個のモーターで動く、という共通点はあるんだけど、どちらも大差ない、残念な作品だったなあ。
手作り扇風機を、夏休みの自由研究として提出したこの年までが、私にとっての「ずうっと、昔のなつやすみ」だったような気がします。それからあとは、受験があったり、新しい趣味に熱中したりで急に忙しくなり、いかにも小学生らしい工作を提出する時代は終わってしまいました。
それにしても、ずうっと昔の、虫かごのなかでアブラゼミがジジジと鳴いていたことぐらいしか記憶のない、あの夏休みに、わたしはいったいなにをやっていたんでしょう。情けない工作のことは思い出したけど。
なんだか昔の記憶を掘り起こすばかりのお話になりましたが、皆様におつたえしたかったことは、このことだったんです。
勉強だとか仕事だとか、具体的な義務感といっしょに過ごすしかなくなった「大人の夏」にはありえない、あの「ずうっと昔のなつやすみ」。なにをやっていたの?
子どもの私をずっと見てくれていた両親も他界してしまった今、なかなか手掛かりは見つかりそうにない。
・・・と、思っていたら、とんでもないものが出てきました。
これだ。

なんと。
小学校1年生のときの、夏休みの宿題。
私の、絵日記帳が出てきたのであります!!

1964年、小1の夏。このページはお盆(8月15日)に広島県三原市の実父の実家に家族で遊びにいったときの日記です。
ずうっと昔の、私のなつやすみ。
どうやら、空白じゃあなかったぞ。
以下、つづく。ちょっとショックだったので、今回は少ししみじみと終わることにいたしましょう。