第26回 半世紀前のアホな自分のこと
2025.11.08
きっと加齢のせいだろうが、昔のことをよく思い出すようになった。とは言っても、思い出せることと思い出せないことがある。
ここで気づいたんだけど、高校を卒業して大学生になったのはなんと50年前だ。
50年! 半世紀前のことですよ。皆さま、50年前のことって記憶しておられるでしょうか。
私の場合、そのへんが少し込み入っていて、ちょうど50年前を境に、それ以前とそれ以後で、記憶の量がまるで違うのです。つまり、高校時代のことはあまり覚えてなくて、大学時代のことはかなり濃厚に記憶に残ってるんですね。
なぜでしょう。大きな要素は「家を出て県外(都会)で一人暮らしを始めた」ということでしょうな。これは田舎の高校生にとってはまさに革命。
四畳半ひと間トイレ台所共同、という貧乏生活だったけど、家族の庇護を離れて生活ぜんぶを自分でデザインできるってまさに天国じゃないか。大学生になって一人暮らしを始めたら、あーんなことやらこーんなことやら、いろいろやってやろうと妄想していた日々はもう終わった。ついに来たぞ新しい時代が。
で、大学生になってまず最初に着手したのが天国ライフに必要なものを購入することでした。欲しかったものは大きく3つの部門に分かれていて、それはですね。
① 軽音楽部に入ったので、新しい楽器がほしい。
② 軽音楽部に入ったのだから、オーディオ装置がほしい。
③ 軽音楽部に入ったのだから、バイクがほしい。
①と②はまあ納得できると思いますが、③はどうでしょうかね。当時の私の中ではつながっていたんですよ。まず共通項の「軽音楽部に入る」というのは、これこそ大学生活の根幹だと思っていたのだから不埒な話。頭の中が妄想の花畑だったあの頃の私は、自分は文学部日本文学科に入学するんじゃなくて、軽音学部低音学科に入学する気分だったんですね。アホ丸出しで情けないけど現実だったから仕方ありません。
そして後半部分の楽器・オーディオ・バイクというのは「妄想のカテゴリー」を表しているわけです。軽音でベースを弾きオーディオで音楽を享受し、バイクで風を切って走り回る。これこそ妄想大学軽音学部の学生信条。バイトでためた資金で、①から順に実現させていったのが50年前のことでした。①から③を現実化していく手順も、田舎者の18歳がやらかすことなので情けなくも可笑しいエピソードに満ちているんだけど、これから書こうとしているのは、その1年前のこと。
そう、妄想に満ちた高校3年生のときのことです。
~50年前のこと~

受験生だったけど、粗悪品のベースと安物のオーディオは所持していた。持っていなかったのがバイクだ。あの頃、高校生がバイクの免許を取ることは許されていた。いい時代だった。バイク通学してる友だちもいた。通学用バイクは自転車とは別に、自転車置き場の入り口近くに置くことになっていた。5段変速の自転車をこぎこぎして登校する私をぶいっと追い抜き、特に許された定位置にすっと収まるバイク。
いいないいなあ。あそこに自分のバイクを置いて教室に行くなんて、なんてイカした高校生活なんだ。
当時の男子生徒の頭の中は、バイクと音楽と女の子のことが8割を占めており、残りの2割で勉強していたから、日々こんな妄想にふけっていたのだ。
私は高校2年生で原付免許を取得。でもバイクなんて絶対に買ってもらえないから、ときどき友達のバイクを借りてチョイ乗りしては妄想をふくらませていたのだが、とにかく自分のバイクが欲しくてほしくてたまらない。
そんなある日、大事件が起こった。ある友人が、こう言ってきたのだ。
「ウチにあるバイク、捨てるんだって。いる?」
友人からバイクをもらう。友人の親は承知しているとはいえ、これはかなりにヤバイ話だ。しかし妄想花畑の住人だった私は舞い上がった。
いやっほ~!
くださいなくださいな。ついに愛車が手に入るぜ。どんなバイクかなあ。どきどきわくわく。

しかし、もらったバイクが、すごかった。
古い。きたない。かっこよくない。
これなら捨てようと誰もが思うぞ。
エンジンはキック一発でかかる。しかし、問題点がいくつかあった。
① スタンドがない。壁に立てかけなければいけない。よって、目的地に壁があるかどうかを確認してから出発しなければならない。
② スピードメーターの針がない。よって、今何キロ出てるかわからない。針がついていた軸がじわーっと回る角度で推測しなければならない。
③ 猛烈な爆音を発する。たぶんマフラーが穴あきだった。これには対応策がない。
④ 車種がわからない。SUZUKIのエンブレムは見えるが、酒屋の配達みたいなビジネス車だ。「俺のバイクはホンダのCBさ」などという自慢ができない。
⑤ その爆音のおかげで、そのバイクには「B29」というアメリカ軍の爆撃機みたいな名前がつけられてしまった。
さまざまな問題はあるが、自分のバイクだ。親に説明するのは後回し。ヘルメットの着用義務もない、のどかな50年前のことだ。さすがに家に置くわけにいかないから、近所にある大きな病院の駐車場の壁に立てかけておいた。
これが、愛車B29との別れを早めることになるとは、想像もしなかった。何かの工事のためその駐車場に大穴が掘られたのだ。その大穴は日に日にでかくなり、私のB29のすぐそばにまで迫ってきた。これはいかん。移動させなければな。
と、思っていたある日。
B29の姿がない。
深さ5メートルはある大穴の底に、私のB29は横たわっていた。
あきらめました。私のところにいたのは、2週間ぐらいですかね。
このかなしいお話は、わずかな友人しか知りません。

いや、当時の担任の先生には伝えていましたよ。ある日、こう指示されたのです。
「バイクに乗る生徒は届け出なさい。」
届け出ましたよ。大喜びで。手続きはこのように行われました。
担任「車種は、なんだ」
私「えーと、スズキのB29です」
担任「うむ。よく走るからな、気をつけろよ」
私「…(笑いをこらえる)はい。」
~50年前の話、おしまい~
ずっと忘れていましたが、50年前の私ってこんな若造だったんですね。親も知らないこの事件のあと、私のバイク熱は急激に冷めてしまい、バイク乗りになったのは晴れて大学生になってからのこと。バイクに乗ることの社会的責任もやっと理解しました。
こんなアホな学生だった時代から50年。
あれれ、と思っているうちに大人になり、今や堂々たるジジイだ。
しかし、それでいいのだ。