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第9回 「クロスオーバーからフュージョンへ」

2023.10.17

 

前回は「世の中の多様性」という、なかなか遠大なテーマをめぐっていろいろお話ししました。書き出しは「10分どん兵衛」という一種サブカル的な話だったけれど、最後のへんになると「不登校」というとても社会的なお話になって、これからもっともっと社会的文化的で重厚長大なむずかしい話題になるんかと心配ですよね。そんな心配してないか。

 はいはい。心配ございません。私の繰り出す話題はそう簡単に一つの大テーマにたどりつくほどストレートな推進力をもっておりません。まだまだ迷走しますよ。

 今や、確かに世の中は多様性に満ち満ちております。でも、その「多様性」って、いきなり発生したものなんでしょうか。私はこう思っています。

何だって、最初は単純なことだった。

つまり、まずは単純な「単体」だった。それが別の単体の要素を取り入れたり、まざったりして別のものになった。合金みたいに。

 一気に難しいお話になったみたいだけど、私は難しいことを考えると耳から煙が出るので、まさに「私レベルのお話」から語りますのでおつきあいくださいな。

カレーが大好きです。

これには賛同者が多いと思うけれど、カレーってもともと、香辛料たくさんの、あのインド起源のお料理を総合的に指しているやつだと思うんですが、私がいちばんすきなのはいわゆる「昭和のカレーライス」なのですね。子ども時代に、夕方まで遊びまくって薄暗くなってきたころに、どこからともなく漂うあのにおい。あれはハウスバーモントカレーかグリコワンタッチカレーか。はたまたヱスビーゴールデンカレーか。今のカレーライスよりずっと黄色くてどろりんちょとしていたな。肉なんかほぼ見えないがジャガイモだけはごろごろ。これに私の家ではウスターソースをどばどばかけていた。インド人もびっくりだろうな。これが日本人の考案した和製カレー料理だ。

 ナンやチャパティといっしょにたべる、あのスパイシーなインドカレーという「単体」に、いったいどんな日本的な要素が加わり、昭和のカレーライスになったのか。詳しいことはよく知らないけれど、カレー界における「多様性」はこんなことにはとどまらない。

この国には、カレーうどん、というものがある。

 カレーを麺に合わせた例はほかにもあるけれど、カレー+うどん=カレーうどん、という式が成立した日本の「多様な変化形を生み出す力」って、ほんとにすごい。カレーうどんえらい。ついでに言えば白いシャツを着てカレーうどんをたべるってスリリング。でもたべるときに上半身を柔軟に使えば大丈夫よ。さあ、お昼ご飯はカレーうどんだ!

 …と、これでお話は終わりませんのです。

 

岡山市北区に奉還町というレトロ感まるだしの商店街があります。私はそこでしばしばお昼ご飯をたべるんだけど、そこにある老舗うどん店で、とんでもないメニューに出会ってしまったのです。画像をご覧ください。

 これが、「カレーライスうどん」。

なんということでしょう。ここまでズドンと突き抜けた組合せは思いつかなかった。これをインド人やイギリス人にみせてあげたい。日本人の創作した多様性料理、ここにありだ。この歳になってこんなダイナミックな融合に出会えるとは。    

このうどん屋さんは、レギュラーメニューにないものでも、そこにある素材の組合せで成立するものは平気でつくりあげてしまうすご腕なのです。カレーライスうどん、という呼び名も一定していなくて、「カレー、ミックスで」と言っても通ります。地元に長く愛されてきた奉還町4丁目の聖地。今も健在です。

 さて、さきほどつい「融合」という言葉をつかってしまいました。

 英語で言えば「フュージョン」。この言葉は音楽用語として使われています。ジャズとかロックとかソウルとかラテンとか、世界各地の音楽が「融合」したのが「フュージョン」、みたいに説明されることが多いけれど、この言葉が使われ始めたのは1970年代後半のこと。

ここで突然ですが、いつもたべもののことばかりダラダラ書いている私の、別の過去を少し明かすことにいたします。少し読んでみて興味ないな、と感じた方はどーんと末尾のあたりまでワープしてください。

 時はまさに70年代後半。私が大学生だったころのお話。

私は軽音楽部に所属してベースを弾いておりました。岡山という田舎の高校ではいっぱしのベース小僧だった私は、進学した大学で味わったのは圧倒的な演奏技術の差。全く歯が立たん。

本当にレベルが高かったのですね。

なにしろ3年下の新入部員には大江千里氏がいましたからね。そこで私は演奏者の道をあっさりとあきらめ、プロのバンドの営業活動の補佐、ADみたいなことを始めたのです。やらせてもらった仕事は楽器の運搬とセッティングの手伝い、いちばん大変だったのが楽器車の運転。メシを食わせてもらうだけのタダ働き。

でもそこで出会えるメンバーが大村憲司氏、ジョニー吉永氏、それから桑名正博氏(いずれも故人)といった、一流のミュージシャンだったのです。ちょうど関西を中心としたブルースブームが終わり、このバンドが創り出していた音楽が、先ほど説明した「フュージョン」というジャンルの夜明けでした。

いや正確に言えば「夜明け前」か。日本中でこんな音楽の変化は巻き起こっていたけれど、まだメンバーの誰も「フュージョン」という言葉を知らなかったんです。ではなんと呼んでいたか。

 「クロスオーバー」と言っていた。

この時代にまず使われた「クロスオーバー」という言葉は「別々のものが、交差して出会う」みたいなニュアンスでした。そして、別々のものが出会った後に融合して、まったく新しい存在となる。これが「フュージョン」。似ているけれど本質的に違うんです。

ちょうど、私が関わったバンドは「クロスオーバー」から「フュージョン」に進化しようとする時代にありました。日々の演奏の変化から、それは背中がゾクゾクするほど伝わってきたものです。

そろそろ昔の思い出話はやめましょうね。「多様性」のお話でした。この昔話をしてきたのは、「フュージョン」という化学反応こそが「多様性」を産み出すために不可欠だと思ったからです。「多様性」は「融合」のたまもの。やっと話がもとの場所に帰ってきました。

少し理屈っぽいお話が長くなりました。私が学生時代にお手伝いしていたバンドの、ナイショ話をご紹介しておしまいにしましょう。

まだ演奏する曲の説明に「クロスオーバー」という言葉を使っていた時代の、最後の頃。

1977年ぐらいかな。こんなことがありました。

メンバー同士の会話。(メンバーほぼ全員神戸出身ですので念のため)

 

「ウチのお母ん、毎日『タビックス』履いとうで。」

 「それ、なんや?」

 「足の親指だけ別になっとる『タビ』ってあるやろ。それと同じつくりのソックスが『タ

ビックス』やんか。」

 「へええ。タビックスか。そらすごいな。猛烈にクロスオーバーしとんなあ。」

 この会話のあと、このバンドは、情報誌のバンド紹介記事の「ジャンル」欄に、堂々とこ

う書いていたのです。

「タビックス・サウンド」

この何やら情けない呼び方は、短い間使われただけでした。その代わりに彼らがついにたどり着いたのが、「フュージョン」という言葉だったのです。

 世界のいろんなジャンルの音楽が「出会った」だけじゃなくて、「融合」した。簡単に言ってしまえばそれまでだけど、「融合」にはすごくたくさんのエネルギーが必要だし、その過程ではかなりの衝撃や混乱を産み出します。「タビックス・サウンド」というへんてこな造語はそんな混乱の過程でひねり出されたものでしょう。

 「多様性」は大切なんだけど、そんなに単純なものではないのでしょう。別々の要素をただ継ぎ合わせただけじゃなくて、融合して新しい価値をもたなくちゃいけない。そして何より大切なことは、その「多様性のもつ価値」を、人々が認めて、愛することができるかどうかだ。

 

 カレーとうどんの融合が、カレーうどん。

 さらに突き抜けた融合の結果が、カレーライスうどん。

 わくわくしてきたなあ。

 世の中には、まだまだたくさんの「融合」の成功例がありますよ。

 このお話、まだまだ続きます。

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